「仏教とは何か」を考えた時、なかなか明確に答えられないことが多いかと思います。
身近にはあるけれど、中々実態がつかめず、信仰があるかと言われてもはっきりせず、現代の生活とどのように繋がるのかという点でも疑問がある方は多いでしょう。

このページでは、仏の教えの基本的な思想の源を少しだけ確認してみたいと思います。

仏陀釈尊

仏陀という言葉の意味は「目覚めた人」でありますが、この言葉が意味していることは、どういうことなのでしょうか。

様々な呼ばれ方がありますが、まず「仏陀」と「ゴータマ・シッダッタ」について整理しましょう。
「ゴータマ」というのは、約2500年ほど前のインド地域における個人の名前です。皆さんと同じように一つの名前が与えられているわけです。
その一人の人間である「ゴータマ」が「仏陀」という「目覚めた人」になったということが問題になります。

なぜ、仏陀になる必要があったのか、何について目覚めたといっているのでしょうか。

仏教の問題領域

ゴータマは何を問題にしたのでしょうか。

それは身体をもって生きているすべてのものに関連する「老・病・死」から生まれる苦しみという問題です。
老病死というものを目の当たりにすることで、これまで楽しみ喜んできたことが、喜べなくなり無意味に感じられるようになってしまう。
様々な表現がありますが、たとえば、
老の苦しみとはできていたことができなくなっていく虚しさであり、
病の苦しみとは唐突に自らの現状を変えられてしまう無力さであり、
死の苦しみとは不安であり人生の空しさと言えるでしょうか。
これらの苦しみは重なっていることから、簡単に言い表そうとすれば「身体を持つ自分が一人で死んでいかねばならない苦しみ」ということになります。

このように自らが「死への人生を生きていくもの」であることを確認すれば、次に「なんのために生きるのか」ということが問題となります。

「諸行無常」と信仰、信頼、真実、本当のこと

もう少し問題を整理すれば、本当の喜びとは何かという問題でもあります。

ゴータマは、老病死を見て世の無常を知ったとされます。生きる意味を疑う苦しみが生まれてきたとも言えます。
これまで自分が信頼してきた自分の身体や人間関係が、確かな支えでなくなってしまう、本当に信頼できるものとして永遠にあるものではないことに気づいてしまう、そのようなことが「老病死を見て無常を知る」ということの内容だと考えていいでしょう。

どこに確かな信頼、心から喜んで満足して生きていける支えとなる本当のことを見い出すことができるのかという問題を解決し、ゴータマは仏陀になったということができるのです。

参考

このページでは、仏の教えの最初のほんの一部分しか触れられていません。
徐々に公開していくつもりですが、この先を知りたいと思う方に以下のページと書籍をご紹介させていただきます。

一つは、私の先輩で医者であり真宗の教えに学んでいる方のページです。

お医者さんはお坊さん 「老病死の問題とは何か」

もう一つは、このページを書く際に参考にした、私も教えを受けた大谷大学の名誉教授が書かれた本です。

宮下晴輝 2020『はじめての仏教学―ゴータマが仏陀になった』東本願寺出版